穏やかな午後の日差しが部屋に差し込んでいた。
開け放した窓からは心地よい風が吹いている。
うとうとしていたワシは、気付いたときには、もう・・・

異世界にいた。


親父、異世界に行く


ワシの名前は猫柳、好物はじゃが芋とたこせん。
何故か猫になってしまってはいるが、列記とした人間だ。
しかし今はそんなことを言っている場合ではない。

どこだ、ここは…

ワシは周囲を見回した。どうやらここは建物と建物の隙間らしい。道ともいえないこの隙間は薄暗く、幅は人の子1人通れるかどうかだ。 しかし、猫の身のワシには何の不自由もない。
それよりも、ワシにとってはこの暑さの方が問題だ。 ジメジメと湿った暑さというよりは乾いた暑さのような感じだが、暑いことに変わりはない。 全く、4月に入って雪が降ったと新聞に書いてあったかと思えば、最近の気象はどうなっている。これではまるで真夏だ。
「うむ、喉が渇いたな。」
それに何か食べたい。ふと『たこせん』のことが頭に浮かぶ。ほどよく冷房の利いた馴染みの店で『たこせん』を食べるのも悪くない。 その前に財布を取りにアパートに戻るか。アパートに少年はいるだろうか。ふむ、少年のじゃが芋を食べるのも悪くはない。
そんなことを考えながら、ワシは薄暗い隙間を歩く。隙間から顔を出すと、そこは雑踏だった。 見たこともない服を着た人々が、赤茶けた砂っぽい道を往来する。 馬のようなロバのような動物の足が砂埃を巻き上げながらワシの目の前を通り過ぎる。 何語か聞き取れないほど重なり合った人々の声が、ざわざわとワシの耳に届く。
あぁ、なるほどな。そういうことか。

「これは夢か。」

それなら何故ワシがここに居るのかも納得できる。
つまりこの乾いた暑さも舗装されていない道も、ロバのような馬のような動物も雑踏も、 今まさに目の前を通り過ぎようとしている少年も少女も、全てがワシの夢にすぎないということだ。
「あ、クロミヤ、猫がいる!」
「お、珍しいですねぇ、猫がいます。」

「ワシは猫ではない。」

不意に足を止めてこちらを指差してきた夢の少年少女に、ワシはいつもの口癖を返していた。
「へ、クロミヤ何か言った?」
「いえ、何も言ってませんが。」
「じゃあじゃあ、あの猫が喋ったの!?」
「ハッ、ピピコの空耳ですね。たかが猫ごときが喋るわけがねぇです。」
「ワシは猫ではないと言っている!」
それにたかが猫ごときとはなんて口の利き方だ! これだから最近の若者は…!
「すごーい!本当に喋ってるし!!」
「これはいい値で売れそうですねぇ。」
「えー!!やだ、売らないもん!!アタシこの子飼いたいー!!」
「少女よ、ワシは今年で37だ。お前より年上にこの子とは…」
しかし少女はワシの言葉を無視して、軽々とワシの体を持ち上げる。この少女といい少年といい、さっきから何なんだ。 初対面の相手に非常識極まりないにも程がある。

全く、親の顔が見てみたい!

「クロミヤ、この猫ちゃん、親の顔が見たいんだって!」
「む。少女よ、ワシの心の声が聞こえるのか!?」
「親の顔が見てみたいとハッキリと言ってましたが。」
「むぅ、ワシとしたことが…」
「ねーねークロミヤー、やっぱりこの猫ちゃん飼ってあげよう!親の顔も見たこと無いなんてかわいそうだもん!」
「待て待て、少女よ、誰が親の顔を見たことないと言った。」
「親の顔が見てみたいとハッキリと言ってましたが。」
「むむむぅ。」
どうやら、ワシと少年少女との間で壮大な誤解が生じているらしい。
「少年少女よ、いいか、ワシの言葉をよく聞…」
「仕方ないですね。見捨てて死なれて枕元に出てきても困ります。カンショも沢山買えましたし、宿に連れて帰ってやりますか。」
何、さつま芋だと。ワシは根っからのじゃが芋派だが、さつま芋も嫌いではない。
「そうしよそうしよ!あと、宿に着いたらムーサにスイートポテト作ってもらおう!」
「いいえ、カンショは断然焼き芋派です!!」
「絶対スイートポテトだもん!!」
「焼き芋の方が美味いです!!」
少年少女が再び進み始める。少女の歩調に合わせて、ワシの体はリズム良く上下に揺れる。 自然と口から欠伸が出る。雑踏も、暑さも、ワシのすぐ真上でぎゃあぎゃあと言い合う少年少女の声も、不思議と遠くに聞こえ始めて…

◇      ◇      ◇

「飼えるワケないっしょ!!」

ワシの耳に響いたのは、怒鳴り声だった。
なんだうるさい。ワシが顔を上げると、そこには巨大な青年がいた。 体や顔つきといい、青い服に青い髪、頭には青い布を巻いている、全身青一色のような格好といい、まさしく青年と呼ぶに相応しい青年だ。
さらに周囲をよく見てみると、この場所はいくつかの鞄があるだけの、机すらない殺風景な部屋だった。 アパートのワシの部屋ではない。ワシの隣にはどこか見覚えのある少年がいて、ワシは見覚えのある少女に抱えられている。
そこでワシは思い出した。あぁ、これはワシの夢の中なのだ。 だったら突然青年が出てきて怒鳴り出したのも、場所が変わっているのも納得できる。夢の中とはいつもそういうものだ、うむ。
「むぅー。ムーサのケーチ!!」
「それだからムサ男なんです。」
「クロミヤそれ意味わからないから!とにかく、猫を飼うのはダメに決まってるっしょ!今すぐ捨てなさい!」
「なんだと、人に対して猫だの捨てろだの失礼な!!」
「人ってそれ人じゃないっ…しょ?
―――へ? いま、喋ったのって……」
「ワシだ。」
「って、えええっ!!」
青年が面白いほど盛大に飛びのく。そこまで驚くことなかろうに。やれやれ、これだから近頃の若者は。
「…ぷ。猫ちゃんにため息つかれてるし!」
「とうとう猫にすら見下されましたか。」
「それ絶対こじつけっしょ!猫ため息つかないから!!」
「だからワシは猫ではないと言っている!」
「へ、猫じゃない?」
青年はぐっと顔を寄せて、大きく見開かれた、青にも緑のような色合いの目で、まじまじとワシの顔を見る。
「もしかして、お前獣人だったりするワケ?」
「ジュウ人? いや、ワシは日本人だ。」
「ニッポン人…?」
青年が首を捻る。よく見ると、少年少女もぽかんとした顔をしている。
「ふむ、青少年少女よ、まさか日本人を知らないとは言わせんぞ?」
「人間でも獣人でもなく、ニッポン人…?」
「待て。青年よ、日本人は人間だ。」
「え? 猫ちゃんが人間?」
「でも猫っしょ?」
「だからワシは猫ではないと言っている。」

「ややこしいからこの際もうなんでもいいです。」

「へ、クロミヤ、全然良くないっしょ?」
「ハッ。そんなの関係ありません。もっと重要な問題があるでしょう。」
少年のその一言で、少女は何か重大なことに気付いたかのような、ハッとした顔をする。
「うん。そうだよね。そうだよムーサ。猫ちゃんが猫ちゃんかニッポリ人かなんて、今は関係ないよ!」
「むむ、少年少女よ、どういうことだ。ちなみに少女よ、ニッポリ人でなく日本人じゃ。」
気付けば青年も何かを思い出したような顔をしている。どうやら、分かっていないのはワシだけらしい。むむぅ、ワシとしたことが。
「ん、あぁ、そうだな。でもなぁ、お前らが何て言ってもやっぱり飼うのは…」

「早くカンショ食いましょう。」

「って、今それ関係ないしょ!!」
「おー!アタシ、クロミヤに賛成ー!」
「わしは断然じゃが芋派だが、さつま芋も嫌いではない。」
「俺は断然焼き芋派です!」
「アタシはスイートポテト派!」
「なら俺はダイガク芋派…じゃなくてだな!
とにかく、その猫――いや、ニッポン人?――飼うのはダメな!!」
少年少女から非難の声が上がる。

ふぅむ、なかなか融通の利かぬ青年だ。きっと世渡りも儘ならず、それなりに苦労もしたのであろうな。うむ。

「…それ、余計なお世話な。」
「むむ。青年よ、ワシの心の声が聞こえたのかっ!」
「猫ちゃんがそう言ったんじゃん。」
「どこかで聞いたやりとりですね。」
「ふむ、ワシとしたことが…」
「…はぁ。それよりクロミヤもピピコもニッポン人の猫も、人の話を最後まで聞こうな。」
「む。まだ続きがあったとは。」
「貴様の話は最後まで聞く必要ありません!」
「猫ちゃん捨ててきなさいって言うんでしょ!」

「…夜は冷えるし、今日だけは特別な。」

やったぁと、少年少女が嬉しそうに飛び跳ねる少年少女。ワシの体も大きく上下に揺れる。 青年は、そんな少年少女とワシを見て、穏やかな目で微笑んでいる。
アパートの少年といい、この青少年少女といい、全く、これだから最近の若者は……

◇      ◇      ◇

「おっさん、おいおっさん!」
「………む。」

少年の声がする。そちらに顔を向けると、いつも通りの少年の顔があった。
温もりを残した夕方の日差しが部屋に差し込んでいた。
空け放した窓からの風はひんやりと冷たい。
いつものアパートの、いつもの午後。
どうやらワシは、すっかり寝込んでしまっていたらしい。
「全く、窓開けっ放しにして寝るなよ。
それ以前に、いつもどうやって窓を開けてるんだ、猫なのに。」
「ワシは猫では無いからな。」
「でも今は猫だろ。」
「頭脳と寿命は人間だ。」
「うぐっ。そんな屁理屈ばかり並べるなら、じゃが芋やらないぞ?」
「むむぅ。人の痛いところを突きよって…」
「人じゃなくて猫だろ。ほらよ、じゃが芋。」
手渡されたじゃが芋を受け取る。
いつものアパート、いつもの少年。

「全く、これだから近頃の若者は。」

「その若者にじゃが芋貰ってるのは、どこの誰だよ。」
「むぅ、ワシとしたことが。つい本音が口から出たか。」
「今のわざとだろ…?」
「むむ、バレたか。」

ワシは今日も、はぐはぐとじゃが芋を食べる。





あとがき。

葵さんがお誕生日とのことでしたので、葵さん宅の猫柳さんシリーズの主人公・猫柳さんと、 うちのクロミヤ・ムーンサルト・ピピコのトリオでコラボ小説を書かせていただきました!
(ちなみにうちの3人組は、雰囲気的に小説の5〜7幕くらいな感じです。第3幕以降なのは確か。)
「アラフォーのおっさん猫が異世界トリップする物語って、なかなか面白いんじゃない?」
というアイディアを思いついたのが約1ヶ月と少し前。 じゃあその1ヶ月と少し間何やってたんだって話ですが、それはそっとしておいてやって下さい(笑)
余談ですが、実際に書き始めるまで、猫柳さんが現実世界に戻ったときに、 うちの世界での出来事をなんらかの痕跡で残しておこうと考えていたのですが (口の周りに焼き芋のカスっぽいものがついてるとか、謎のくじ引きで当てた旅行券が無くなってるとか 笑)、 結局はこんな形でまとまりました。完全夢オチですね(笑)
ちなみに、30日まではOCF8に載せているカッシーナの話と連動させて、 猫柳さんに「ふむ。映画の撮影か何かなのだろうか。」とか色々言ってもらうという案があったのですが、それもボツりました(笑)
とにかく、長さも話も予想以上に上手くまとまったのでよかったです。
猫柳さんとうちのおバカなトリオに感謝感謝。
皆さんも猫柳さんとうちの3人の地味に何かがズレてるけど成立してる会話などなどを楽しんで頂けましたら幸いです。
長々と語ってしまい申し訳ないです。それでは、この辺で。
ちなみに、忍冬葵さんのみお持ち帰り可です。あとがきだけ置き去りにするとかも可です!(笑)




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