幕間 トワイライトパーティー(宴)
夜。いつの間にか太陽は姿を隠し、空には青白い月がぽっかりと口を開けている。
そしてその空の下、街道から大きく外れた、赤茶けた砂漠の上では、
「焚き火ってこんな近くにありましたっけ?」
先にテントの外に出たクロミヤの声を聞いて、ピピコが慌てて外に出たところだった。
見ると、確かに焚き火の場所は、テントの中の声がムーンサルトに筒抜けになりそうなほど、近くになっている。
「あ、あぁ。ほら、近い方がなにかと便利っしょ。」
ムーンサルトがぼりぼりと頭を掻く。心なしか、彼の返事の歯切れも悪い。
ピピコはクロミヤを見た。クロミヤは、いつもの余裕綽々のあの笑みを顔に浮かべてはいない。
代わりに、少し引きつった、気まずそうな顔をしている。きっとピピコも、同じような顔をしているのだろう。
実は、ピピコとクロミヤは、『ページ当てゲーム〜仁義無きトマト争奪戦編〜』をしようと決めた後、
このことはムーンサルトには直前まで内緒にしておいてビックリさせようとも決めていた。
だから、会話が筒抜けになっているというのは、とてもマズい。いや、とてもマズいどころじゃなくマズかった。
「おや、妙に歯切れが悪いですねぇ。もしかして、俺たちの会話の盗み聞きでもしてたんじゃないですか?」
単刀直入にクロミヤが聞く。それに対してムーンサルトは、料理を皿によそう手を止めると、顔を上げてジトっとした目で2人を見詰め、
「こっちに焚き火移してからは、嫌でもバッチリ聞こえてきてたワケだけど、
なに、お前ら、俺に聞かれちゃマズいようなことでも話してたワケ?」
「そ、そんな話しないもん!」「失敬な。何も話してません。」
ピピコとクロミヤの声が見事に重なり、ムーンサルトの視線がますますジットリと重くなる。
思わず、ピピコはしまったと顔をしかめた。これでは、何か聞かれちゃマズい話をしていたのを隠しているようにしか聞こえない。
…いや、実際そうなんだけど。
「……はぁ。まぁいいや。それより早くメシ食おうぜ。」
ずるずるとため息を吐き出すと、ムーンサルトは2人に座るように促してから、再び手元に視線を戻す。
それにピピコとクロミヤは、拍子抜けしたように顔を見合わせた。
ムーンサルトのことだから、ツッコむか、何かしら追及してくるかと思っていたのだ。
「…どうやら、ムーサの奴はページ当ての話が終わった後で、焚き火をこっちに移してきたみたいですね。
しめしめです。これも俺の日ごろの行いの良さの賜物です。」
「うっそだぁ。クロミヤよりアタシの方が日ごろの行い良いからさ、アタシのお陰だし。」
くすくすと声を潜めて笑い合うと、ピピコとクロミヤはそれぞれ、焚き火を囲むように座る。
それを確認すると、ムーンサルトは、仏頂面のまま2人に皿を突き出した。皿の上には、真っ黒にこげたトカゲのシッポとパンしか載っていない。
「俺の努力の結晶がコゲてます。」
「えー、これだけしかないの〜。」
不満の声を上げるピピコとクロミヤ。しかしムーンサルトは、早く皿を受け取れと言わんばかりの冷ややかな視線を二人に投げかけるだけ。
「俺の話を無視するとはいい度胸ですねぇ。俺の心は傷つきました。ムサ男の分の食い物よこせです。」
「アタシも量の少なさにガッカリしたから、ムサ男の分ちょーだい!」
「……もういいから、早く食えって。」
それだけ言うと、ムーンサルトは2人に食べ物の載った皿を押し付けて、自分の食事をもそもそととり始めた。
クロミヤは何かを言おうとして口を開くが、でもすぐに口をつぐむと、ぶすっとした顔になって、
すっかり焦げてしまったトカゲのシッポを、ぼりぼりと食べ始める。
もそもそ、ぼりぼりというくぐもった音が響く中、ピピコはいただきますと呟くと、パンの端を小さくかじった。
やっぱり、最近のムーサはなんだかおかしい。それがなんでなのか、ピピコにはさっぱりわからない。
でも、ノリが悪くなったというか、昨日一昨日くらいから、なんだか元気がなくなっているような、そんな気がする。
なら、どうすれば、ムーサは前までのノリに戻ってくれるだろうか。どうすれば、ムーサは元気を出してくれるだろうか。
ピピコは眉間にシワを寄せて、むむむと考える。そしてふと思いついた。
ページ当てで盛り上がって楽しい気分になれば、ムーサも元気を出してくれるんじゃないだろうか。
それだ、と、心の中でピピコは自分の思いつきに飛びついた。目の前が明るく拓けたような、わくわくと楽しい気分が心の中に広がる。
ピピコはパンにかぶりついた。トカゲのシッポも口の中に放り込む。
ほんのり甘いパンの味と、トカゲのシッポの香ばしい風味が口の中にふわっと広がる。美味しい。
そのまま、3人で楽しくページ当てをする様子を想像しながら、もしゃもしゃとピピコはパンとトカゲのシッポを食べ続けて、
「ピピコ、皿。」
ムーンサルトから唐突に声をかけられた。その時初めて、ピピコは自分の皿の上が、空になっていることに気がつく。
「うっそ、もう無くなってるし!」
「量が少ないせいですねぇ。」
「………」
ムーンサルトは何も応えない。ただ、無言のまま、手をこちらに伸ばしてくる。ピピコは大人しくムーンサルトに皿を渡した。
「ほら、クロミヤも皿寄越せ。」
「ハッ、タダで渡すのは嫌ですねぇ。」
にやりとクロミヤが笑う。これにはピピコも驚いた。ムーンサルトも、面食らった顔をしている。
クロミヤは何をする気なのだろうか、ピピコにもムーンサルトにも予測はできない。
2人の視線をたっぷり集めると、クロミヤは自分の皿をばばんと掲げて、
「この皿の命が欲しければ、俺の言うことを大人しく聞けです!」
「ぷっ。」
「何が可笑しいんですかピピコ。」
「ううん。なんでもない。」
と言いつつ、ピピコはこみ上げてくる笑いを必死にこらえる。分かりにくいけど、クロミヤは皿を人質ならぬ皿質にとって、
それを切欠にしてムーンサルトを『ページ当て〜仁義無きトマト争奪戦編〜』に誘うつもりらしい。
素直に誘っちゃえばいいのにとも思うけど、それじゃあドッキリにならないし、それにそこがいかにもクロミヤらしくて、ピピコは嫌いじゃない。
だからピピコもにやりと笑うと、
「そうだそうだ〜!アタシたちの話を聞けーい!」
「まぁそういうことですので、この少女の命が惜しければ話を…」
「え、人質アタシになってるし!?」
「何か問題ありますか?」
「大有りでしょうがあああッ!!」
そのまま、話の流れを一切無視してピピコとクロミヤはわーきゃーと言い合いを始める。ムーンサルトは眉根を寄せるとぼりぼりと頭を掻いた。
その目には、パチパチと静かな音を立てる焚き火の影が写っている。
「ったく、どいつもこいつも似たようなこと言いやがって…。」
長いため息を吐き出すと、ムーンサルトは赤茶けた砂をかき集めはじめた。ピピコとクロミヤが言い合いを止めて彼に目を向ける。
しかしそんなことは気にすることもなく、ムーンサルトは集めた砂を手で掬い取ると、それを焚き火の上に持っていって、
「え、ムーサ、まさか焚き火消すんじゃ…?」
「あぁ、そうに決まってるっしょ。もう寝るんだよ。明日も歩くワケだから、体力温存しとかねぇと。」
投げやりにそれだけ呟くと、ムーンサルトは、砂を掬っていた両手を離す。砂が彼の手からこぼれ始める。
ピピコは慌てた。焚き火を消されては、ページ当ては到底できない!
間一髪、クロミヤが砂を皿で受け止めて焚き火を守る。ムーンサルトが暗い目でクロミヤを睨んだ。
「お前、いきなり何するワケよ!」
「それはこっちのセリフです。寝る時間をムサ男ごときに指図される筋合いはありません。
そもそも最近ムーサはノリ悪すぎです。機嫌悪いのか知りませんが、いい加減俺たちにまで不機嫌撒き散らすのは止めて下さい迷惑です!」
「……迷惑?」
パチンッ、と焚き火の薪が爆ぜる。
「迷惑はお前の方っしょ!!」
ムーンサルトの突然の大声に、ピピコだけでなく、クロミヤすらもビクッと反射的に背筋を正す。
「いつもいつも俺の言うこと聞かないで文句ばっかり言いやがって、
ウンゲーゴの団員挑発しようとするし勝手に離れるし仕舞いには砂漠に勝手に入って行くし、
人の気も知らないで、もういい加減にしろよ何様のつもりなワケ!!
あぁ、そうだよなぁ、何様もなにもクロミヤはご大層な勇者サマなワケだよなぁ。でも勇者らしいこともほとんど何もしねぇで、
剣もたまにしか抜けないクセに、それでもお前勇者かよ!図々しいにも程があるっしょ!!そもそもお前さえ居なければなぁ…!!」
ムーンサルトの怒声が止まる。唖然とした顔をしている2人から、気まずそうに目を逸らす。水を打ったような空気が3人の間を流れる。
ムーンサルトが言葉を捜すように、困ったように目を泳がせて、しかし、先に口を開いたのは、クロミヤだった。
「お前さえ居なければ、なんですか。」
「………。」
ムーンサルトの口から言葉は、出ない。
「興ざめです。」
クロミヤは乱暴に立ち上がる。
「く、クロミヤ、どこ行くの…?」
「寝ます。トマトはピピコにやります。」
そのままテントの中に入ろうとするクロミヤに、ムーンサルトは顔を上げると、
「クロミヤ、その、悪かった。別にそこまで言うつもりは…」
「………。」
しかしクロミヤはムーンサルトの言葉を全て聞く前に、テントの中に入ってしまう。がっくりと、ムーンサルトが力なくうな垂れる。
ピピコも顔を俯かせる。
ピピコの中では、さっきのムーンサルトの言葉が何度も反芻されていた。
人の気も知らないでとムーサに言われて、はっとした。ムーサの言う通りだ。
たまにやり過ぎかなとは思ったけど、アタシたちは楽しいんだし、当然ムーサも、会話を、旅を、楽しんでいるものだとばかり思っていた。
でも違う。本当は、ムーサの気持ちなんて、全然考えてなんていなかったんだ。
「俺は馬鹿だ。ピピコも、ごめんな…。」
ピピコは弾かれたように顔を上げた。
違うよ、馬鹿なのはアタシの方で、謝るのもアタシの方なの。ムーサは何も悪くない!
でも、言葉が上手く出てこない。気持ちが胸の中に溢れて、今何かを下手なことを言ってしまうとムーサに嫌われてしまいそうな気がして、
それがたまらなく怖くて、声が出なくなってしまう。ピピコはそれが歯がゆくて仕方が無い。
明かりの無い夜のような、ねっとりとしたもやもやが、胸の奥から湧き上がる。
「トマト。……クロミヤ、トマトがどうのって言ってたけど、お前ら、何しようとしてたんだ?」
思い出したように、ぽつんと、ムーンサルトが呟いた。出る機会を失った気持ちが、言いたかった言葉が、するすると奥底の方に沈んでしまう。
どろりと暗いもやもやだけが、胸の中をむかむかと締め付ける。やっぱり、馬鹿なのはアタシの方だよ、ムーサ。
パチパチという焚き火の音が、まるで自分を非難しているようにすら、ピピコには聞こえる。
しかしピピコの口は、厚みのない、言いたかったのとは別の言葉を、ずるずると勝手に並べ立てる。
「………『ページ当てゲーム〜仁義無きトマト争奪戦編〜』」
「ページ当てゲームって、俺が料理してる間に、クロミヤとピピコがよくやってたあれか?」
「うん。食事終わったら、ムーサも含めてみんなでやろうって。」
「俺も?」
「うん。それで、優勝した人に、クロミヤが発見したでかトマトをもらえることになってたんだ。」
ムーンサルトが目を伏せる。焚き火の暗い橙色が、彼の顔の上でチラチラと揺れる。
「そうか。…俺、本当に悪いこと―――ッ!!」
しかしムーンサルトの言葉はそこまでしか続かない。
彼の背後に突然現れた黒い影に、棒状の何かで頭を殴られたのだ!
ムーンサルトの体が、がくんと前のめりに倒れこむ。ピピコの中の黒いもやもやが、一瞬にして心の奥に引っ込んだ。
「ムーサ? ねぇムーサ、大丈夫!?」
ピピコは慌てて近寄ってみるが、反応はない。しかし、ちゃんと呼吸はしているようなので、どうやら単に気を失っただけらしい。
ほっとしたのもつかの間、ピピコは全身を緊張させる。しまった。まだ目の前に、ムーサを殴った奴がいるんだった!
それを思い出した瞬間、ピピコは反射的に、目の前の人物を見上げた。焚き火が、その人物をぬらりと赤く照らしだす。
そこには―――
to be continue・・・
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