幕間 トワイライトパーティー(調理)
太陽が赤茶けた大地に潜ってゆく頃。
オレンジの陽光に照らされながら、ムーンサルトは1人、焚き火の前に腰を下ろして、夕食の準備をしていた。
少し離れたテントの中からは、楽しそうなはしゃぎ声がもれてくる。
あいつら、また何か企んでるな。
「はぁー。」
今日何度目かのため息が、自然と口から漏れる。ムーンサルトは疲れていた。
昼間の戦闘に、クロミヤやピピコの相手。しかも砂漠なんかで迷うし、そもそもこの旅自体が徒労でできている気すらする。それに…
「このあからさまな気配の主の相手、な。」
はぁー、と再び重いため息を吐き出すと、ムーンサルトはフライパンの上で跳ねる大量のトカゲのシッポに目を向けたまま、
「いい加減出て来いよ。俺が用件聞かないと、困るのはヴァイパー、お前の方っしょ?」
それに、ははは、と乾いた笑い声が、呼応するように返って来る。
「そいつは、見当違いもいい所だぜェ。俺の話を聞かなくて、後で泣くのはムーンサルト、お前の方だ。」
岩陰からヌッと姿を現したのは、今日の昼、部下を引き連れてムーンサルトたちを襲撃してきた、
巨大盗賊団・猛獣の爪<ウンゲーゴ>の頭――ヴァイパーその人だった。
「よく俺の存在に気がついたなァ。」
「当たり前っしょ。」
料理の手を止めぬまま、ムーンサルトは軽い返答で済ませる。
気配はおろか、足音さえ消そうとしていない相手に、気付かないムーンサルトではない。
だから、テントから少し離れたこの場所で、料理を始めたのだ。
ここでなら、ヴァイパーと会話をしても、その内容がテントの中のピピコやクロミヤに聞こえることはない。
それどころか、ヴァイパーと戦闘になったとしても、楽しく会話をしている二人は気付かないだろう。
「で、その話ってのは何?」
「おっと、その前に、俺が話してる隙に攻撃しようなんざ考えるなよォ。」
当たり前っしょ、今と昼とじゃ状況が違う。ムーンサルトがそう答える前に、ヴァイパーの口からとんでもない言葉が飛び出した。
「テントの後ろに俺の部下が数人張りこんでる。俺の合図一つで、勇者殿と嬢ちゃん、殺せるぜ?」
ムーンサルトの顔からさっと色が消えた。フライパンから顔を上げ、テントに目を向け、気配を探る。
しかし、それらしき気配も殺気も感じられない。
「ハッタリっしょ、それ?」
「さァな。ただ、昼間みたいに嬢ちゃんと勇者殿を危ない目に合わせたくないンだったら、俺の言うことを聞くのが得策だぜェ。」
ムーンサルトは顔を上に向けてヴァイパーの目を覗き込んだ。
ムーンサルトを見据えるヴァイパーの乾いたナイフのような目からは、彼の言葉が嘘か否を窺い知ることはできない。
だが、ムーンサルトは、彼の言葉が偽りだと確信していた。
ヴァイパー以外で、ムーンサルトに気配を気取られないほどの実力者がウンゲーゴにいるとは、聞いたことがなかった。
それに、そんな実力者がウンゲーゴに居るなら、昼間の戦いで姿を見せなかったのもおかしな話だ。
「どうだ、ハッタリと思うか?」
「…………いや。」
だが、ムーンサルトの口から漏れたのは、ヴァイパーのハッタリを事実と肯定する言葉だった。
何が気に食わないのか、ヴァイパーの顔が露骨に歪む。しかしすぐにそれは乾ききった嘲りに変わった。
「そうかよ。そう思うなら大人しく俺の話を聞け。ムーンサルト、盗賊組合での貴様の処分が決まった。」
盗賊組合。
現役を退いた盗賊や闇商人、情報屋など、盗賊の恩恵にあやかっている者たちが、
自らの利益と盗賊たちのために運営している、ならず者の組織だ。
組合は本部と各地にある支部から成り、本部の場所は支部を管理する幹部と呼ばれている人物と、
ムーンサルトですら顔を合わせたことがない幹部以上の実権を握る何者か――もしくは何者たちかしか知らない。
ムーンサルトの処分を決定したのも、その何者か――もしくは何者たちかである。
ちなみに、主に盗賊たちが出入りする支部では、盗賊同士の賭博や情報のやりとりはもちろん、
情報屋の調査に基づいた実力首位の盗賊や、要注意の賞金稼ぎの順位表などの一部の情報が無料で公開されている。
また、闇商人との取引や、暗殺者への賞金稼ぎなどの邪魔な存在の暗殺の依頼、情報屋との情報の売買や酒宴の場としても、
盗賊たちだけでなく、多くの俗に言う闇に生きる者たちにも利用され、いつも暗い活気に溢れている場所だった。
もちろん、盗賊生活の長いムーンサルトにとっても、支部は馴染みのある場所だ。
「昼に来た時も今も用件同じで、戦闘する気なんてサラサラ無かったンだがなァ。
どっかの馬鹿が人の話もロクに聞かずに暴れだして、部下だけじゃあ手のつけようがねェみたいだったから、
俺が直々に手を貸してやったってわけだ。全く、お前さえ大人しくしてりゃ、それだけで済んだのによォ。
ま、俺としては嬢ちゃんや勇者殿と遊べて、なかなか楽しかったけどなァ。ハハハハハハ。」
ヴァイパーの言葉が、ムーンサルトの背中に重くのしかかる。ムーンサルトは少しだけ、ヴァイパーから目を逸らした。
「それで、盗賊組合での俺の処分って、どうなったんだ?」
「月の涙<ルーナ・ラルモ>の頭ムーンサルト、盗賊組合の上層部どもの話し合いの結果、
お前を裏切り者として組合から追放することに決まった。」
「追放、か。」
やっぱりな、とムーンサルトは心の中で呟く。勇者なんていかにも盗賊の敵っぽい称号を持つクロミヤと、
一緒に旅をすることになった時点で、組合から追放されることは予想がついていた。
「それだけかァ。」
「何が?」
「追放か、だけかよ。他に言うことあるだろォ。追放だぜェ、ツイホウ。」
「………。」
ムーンサルトは何も言わない。
テントの中の楽天的なはしゃぎ声とトカゲのシッポのはぜる音だけが、不協和音のようにこだまする。
答えのない沈黙に耐えかねて、先に口を開いたのはヴァイパーだった。
「ただし、だ。」
「ただし?」
「…勇者殿と手を切れば追放処分は取り消しだそうだ。ハハハハハ、ビックリだよなァ!
まさか組合の幹部どもが、ここまでイカレ頭の腐れヤローだったとは、俺も夢にも思わなかったぜェ!
ムーンサルトよォ、お前、どーやってあの上層部どもを丸め込んだ?
添い寝でもしてやったのかァ、ハハッ!」
苦々しげに次々と悪態をつくヴァイパー。
しかしこれは、ムーンサルトにとっても意外だった。盗賊組合は国に在り処を知られないよう、情報漏れを極度に警戒している。
組合の支部の場所を知っている者が国に寝返ったという情報がひとたび耳に届けば、支部の場所を即座に移転し、
さらには暗殺者に依頼してその裏切り者を抹殺させることだってあるほどだ。
だからその時のために、ムーンサルトは組合への言い訳も、クロミヤを出し抜く計画すらも立てていたくらいなのだ。
「……チッ、まあいい。で、どうするンだよ、お前。あの勇者殿と今すぐ手を切るのかァ?」
ヴァイパーの言葉に、ムーンサルトは小さく苦笑する。
この盗賊組合の申し出は、ムーンサルトにとって願っても無いチャンスになるはずだったのだ。たった、ほんの数日前までは。
「ヴァイパー、世の中上手くいかないもんだな。」
「あ? どういうことだァ?」
「勇者と手は切れないってことだ。」
ぽかん、と一瞬の間が開く。しかし、みるみるうちにヴァイパーの表情は険しいものとなり、
「はァ?どういうつもりだ、ムーンサルトォ!条件つきでも、処分取り消しが異例なことぐらい、お前も知ってンだろォ!」
「あぁ、知ってる。」
あっさり言ってのけるムーンサルトに、ギリリとヴァイパーの奥歯が鳴る。
「今の地位も評判も、捨てるつもりか?」
「盗賊に地位も何も無いっしょ。」
その瞬間だった。ヴァイパーの顔が歪んだのは。思わず、ムーンサルトは息を呑む。
くすんでいた。ヴァイパーのその金色の瞳は、ムーンサルトが見たどの瞳よりも、暗く濁って淀んでいたのだ。
しかし、ムーンサルトがまばたきをしたすぐ後には、彼の瞳はもういつもの乾いた金色に戻っていた。
「くく、あはは、はははははッ!それで善人になったつもりかァ、ムーンサルト!どんなに善人ぶったって、お前は盗賊だ。
兵士でもなければ騎士でもない。ましてや、国の掟とはソリが合わねェ。
勇者殿や嬢ちゃんとも、ソリが合わなくなってすぐに終わりだ。そんなお前に人が守れンのか?」
乾いたナイフのような瞳が、抉るように降ってくる。ムーンサルトの瞳が揺れる。金色が、ギラリと鈍く光った。
「現に昼間だってよォ、ロクに立ち回れてなかったじゃねェか。危うく勇者殿も嬢ちゃんも、死んじゃうところだったぜ?」
ムーンサルトは何も言えない。ケタケタと乾いた笑い声は、確実に彼に重圧を加える。
「まぁ俺としては、お前が組合を追放されてセイセイだがなァ!あはははハハハ!」
「…言いたいことは、それだけか?」
「あァ、それだけだ。ははは、言われなくとも今日の所はもう帰ってやるよ。用件も済んだことだしなァ。」
ゆっくりとヴァイパーが立ち上がる。彼の背後ではすでに日も落ち、腐ったトマトのような陽光が、
藍暗い空に不気味な尾を引いていた。ムーンサルトに背を向けて、ヴァイパーは歩き出す。
しかし何を思ったのか、途中で唐突に振り返ると、にやりと顔を歪ませて、
「せいぜい苦しめ、ムーンサルト。」
呪いのように言い放つと、再び歩き出したヴァイパーの姿は、すぐに闇の中に溶けて消えた。
しばしの沈黙が続き、ムーンサルトがため息を吐き出したのは、トカゲのシッポがすっかり黒く焦げてしまった後だった。
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