幕間2 トワイライトパーティー(下準備)
昼の終盤。
日が地平線のすぐ近くにまで傾いた頃、
クロミヤとピピコとムーンサルトの3人は、街道から少し離れた岩陰で、野営の準備を始めていた。
「クロミヤ、何か食べ物見つけてくれるかなぁ?」
「見つけてくれなきゃ、今日の夕食はパンだけな。」
テントの中で、ピピコとムーンサルトは待機していた。
「でも、よかったの?
クロミヤだけに食材探しに行かせて。」
この食材探し、今までは――といっても、まだ会って数日しか経っていないが――
ピピコもクロミヤと一緒に行っていたのだが、今日はムーンサルトに止められたのだ。
「ま、大丈夫っしょ。」
軽口で、ムーンサルトは言った。
会話が止まる。
テントの中に静寂が落ちる。
クロミヤがいないと、意外と会話が続かない。…いや、違う。きっとこの沈黙は、クロミヤがいないからだけじゃない。
なんとなくだが、ピピコはそう感じた。
「あ、そういえば、ムーサも怪我してたよね。」
ピピコはいそいそと、自分の荷物の中から、日記帳を取り出す。
そのページの一番後ろをめくると、その紙を一枚千切る。そして、再びページを捲る。
日記帳の前から36ページと37ページ目に、魔方陣のようなものと、呪文のような言葉が、みっちりと書き込まれていた。
ピピコはその魔方陣を、バックのポケットの中に入れておいた黒鉛で、慎重に、正確に、手早く、千切った紙に写し始める。
ムーンサルトは、黙って、ピピコの様子を眺めていた。
ピンと張り詰めた空気の中で、ピピコは最後の模様を、魔方陣に描き入れる。
寸分の狂いも無く、日記帳の魔方陣を、紙の上に完成させる。
それからピピコは、ムーンサルトの噛まれた傷口にたっぷりの軟膏を塗って、その上に魔方陣を描いた紙を乗せる。
それを左手でしっかりと押さえつけ、紙とムーンサルトの肌を軟膏でくっつけた。
そして、日記帳に書き込まれた呪文を、ピピコは唱え始める。
じわじわと、手が熱を持ち始めるのを感じる。
しかしピピコはそれにすら気付かずに、ただ呪文を唱え続けた。
そして、最後の呪文を唱えて始めて。
「うわっ!アっツぅッ!!」
紙の上から手を退けた。
「大丈夫か?」
少し慌てて、ムーンサルトはピピコを見た。どうすればいいのかわからないという感じで、手が宙を彷徨っている。
「うん、大丈夫。それより、暫くはその紙、剥がさないでね。夜になったらもう治ってると思うから、取ってもいいけど。」
「あぁ。ありがとな。」
「えへへ。」
なんだか照れくさくなって、ピピコはぽりぽりと頭を掻いた。が。
「でもな。」
ムーンサルトの一言に、ピピコはびくっ、と身体を震わせた。
背筋が、ピンと伸びる。褒められた嬉しさや無事に魔法ができたことの達成感が、一気に吹っ飛んだ。
ムーンサルトの口から飛び出す次の言葉が、怖かった。
「その魔法、回復魔法っていうの? 俺とクロミヤはいいとして、他の奴の前では使うなよ。それと、使うのは、テントの中だけな。」
「え…?」
「この魔法、俺の知ってる限りだと、一部の人たち意外は、知らないハズなワケよ。」
「………。」
ピピコは下を向いた。ムーンサルトの顔を、見ることができなかった。
幾通りかの嘘が、ピピコの頭の中を巡る。
その嘘とちょっとの事実を混ぜて、なんとかごまかそう。なんとかごまかさないと。
こんな所で、こんなに楽しい旅が終わるなんて、絶対に嫌だから!
「あの、あのね、ムーサ、その……」
「あ、いや、理由はいいからさ。」
ムーンサルトの口から飛び出したのは、ピピコにとって意外すぎる言葉だった。
「え、話さなくて、いいの?」
思わず、ピピコはムーンサルトを見上げていた。
ムーンサルトは、笑っていた。
雲に覆われることも、太陽が昇ることも、月が住むことも、鳥が飛ぶことも、全部受け入れてくれる空のように、穏やかな微笑みだった。
思わず見とれてしまう。
胸が温かくなって、とても心地よくって、なんだか、安心できる。
そして不思議と。
不思議と、ピピコはこの温かな笑顔に、見覚えがあるような気がした。
クロミヤかな?
ううん、違う。クロミヤのあのいつだって余裕たっぷりの笑みとは雰囲気が違う。もっと、もっとこう大らかな……
「ピピコ、ピピコ!」
「え。」
呼ばれて顔を上げると、そこにはムーンサルトと、そしていつの間にかクロミヤがいた。
「あ、クロミヤお帰りぃ〜。」
「ボーっとしてましたが、ムーサになにか吹き込まれましたか?」
「いやいやいや、クロミヤ、俺何も言ってないから!」
「じゃあ二人で何かしてましたか?」
『何もしてないから!!』
ここは、奇妙なほど見事にピピコとムーンサルトはハモった。
「怪しいですねぇ。やっぱり、俺に内緒で2人だけで美味いもんでも食ってたんじゃ…」
「って、もう冗談はそれぐらいでいいっしょ。早く調達してきた食料渡さないと、夕食作れないぞ?」
「別に、お腹は減ってませ…」
ぐぅ〜、と、3人の腹の虫のアンサンブル。
「おやおや、ムーサは腹減りですか。3人分の腹の虫が鳴きましたよ。」
「はいはいそれでいいから、食材よこせ。」
「ちぇっ、ノリ悪いと、友達失くしますよ。」
「友達いなさそうなクロミヤに言われたらおしまいだねムーサ。」
「さりげなく俺のことも貶さないで下さい、全体的にお子ちゃまのピピコ。」
「だ、誰がお子ちゃまよ!!」
「…というわけで、今から俺とピピコはカンショバトルを始めますんで、ムーサはとっとと出て行って料理を作ってください。」
クロミヤが、ムーンサルトに向かって袋を突き出す。
袋の中で何かがうごうごと蠢いているのが、少し遠くから見てもわかった。
「って、マジで。生け捕りなワケ!?」
「ぴっちぴちの新鮮です。」
「新鮮すぎるっしょコレ!!」
ムーンサルトが仕方なく袋を受け取って、テントから出て行く。
刹那。
「ぎゃああああ!!?
って、あぁ、砂漠トカゲのシッポね。てか、クロミヤ、なんで全部シッポだけなワケよ!?」
「あーあー聞こえません。」
「はぁ。仕方ないなぁもう。って、なんかヘビ混じってるし……」
ぶつぶつとつぶやく声と足音が、テントから離れて、聞こえなくなる。
くっくっく、と、クロミヤは目に涙を浮かべて笑った。
「あーあ。ムーサをからかうのは、面白いですね。一昨日あたりから、急速にノリ悪くなってきてる気もしますが。」
「クロミヤ、やりすぎなんじゃないかなぁ?」
「やりすぎ…? どういうことですか。」
本気なのか冗談なのか、イマイチ判断できない真顔で、クロミヤは首を傾げる。
「だから、からかいすぎっていうか…」
「よく分からないですがまぁいいです。」
「まぁいいって…。クロミヤ、よくそれで勇者になれたよねぇ。本当に勇者なの?」
「…ハッ、勇者じゃなけりゃこんな旅に出てませんよ。」
クロミヤの眉間にシワが寄る。
そういえば、クロミヤっていっつもラスボスズッパーンだのなんだのと偉そうなこと言うのに、
自分が勇者だってこと、自慢してるところ見たことがない気がする。どうしてだろ?
しかし、ピピコの脳裏にそんな疑問が浮かんだのは、わずか一瞬。
「それより、いいものを見つけました。」
そのクロミヤの一言で、ピピコの興味は、一瞬の疑問から『いいもの』へと移る。
「いいものって、なになに!」
「見て驚け聞いてビックリです!」
クロミヤは自信たっぷりの笑みを浮かべて、ベルトにとりつけていた別の袋から、トマトを取り出した。
しかも、普通の野生のトマトより、ふた回りほど大きい。
少なくとも、ピピコがクロミヤ一緒に食材探しに行った時には、小さなトマトしか見つけたことがない。
「おおお!!でっか!!!」
「スゴイでしょう。トマト探してたら偶然見つけたんです。」
ふふふんと、自慢気にクロミヤがトマトを掲げる。
「で、これを夕食後のページ当ての景品にするんですよ。火も焚いてますし、いざという時はランプも使えば問題ナシです!」
「いいねいいね!」
なんだか楽しそうなクロミヤの提案に、ピピコもわくわくする。
ちなみにページ当てというのは、本のページをジャンケンで勝った人がめくって、
その人が選んだページをジャンケンで負けた人が当てるという、シンプルなゲームだ。
1ページにつき、ジャンケンで負けた人が回答できる回数は3回。
直感で当てたら当てた人に5点。
ヒントとしてページを選んだ人にそのページの内容を読んでもらうこともでき、
それを聞いて当てたら、ページをめくった人に2点と当てた人に3点。
そして3回ともはずれたらページをめくった人に5点が与えられる。
それを何回か繰り返して、先に20点以上とった人の勝ちとなる。
ちなみに、このゲームの考案者はピピコとクロミヤで、
ピピコが持っていた『2人の勇者の物語〜いざ、魔王討伐へ!〜』という子供向けの本を、
クロミヤも知っていたことが、このページ当てをつくるキッカケだった。
「あ、でもさクロミヤ、あの本、ムーンサルト知らなかったらどうしよう。」
「大丈夫ですよ。俺でも知ってるくらいですし、俺のご先祖様も村のみんなも知ってるとかなんとかお袋が言ってた気もしますし。」
「あ、そんなに有名な本なんだ。」
「子供の時、誰でも一度は読み聞かされるらしいです。最も、俺の場合、字の読み書きの練習で読まされてたんですが。」
そう。そのせいかクロミヤは、この本の内容を聞くと、ほぼ間違いなくページを言い当ててしまうのだ。だからなかなかに手ごわい。
「まぁそんなどうでもいい話は置いておいて、
『ページ当てゲーム〜仁義無きトマト争奪戦編〜』どうですか、ムーサも誘って、3人でやりませんか?」
「うっしゃあああ!その話、乗ったぁ!!」
「決まりですね。あっと、じゃあこれからページ当ての夕食後まで、『2人の勇者の物語』読んじゃダメですよ。」
「もっちろん!」
「トマトは渡しません!」
「アタシだって負けないもんねー!」
よーし、負けないぞー、と、ピピコは心の中で意気込みながら。
どうかこの楽しい旅が、もっともっと長く続きますように、と、心の奥で今日も祈った。
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