「何か問題でもありますか?」
いつもと変わらぬ余裕綽々よゆうしゃくしゃくな笑みを浮かべて、クロミヤが唖然とした一同を見回す。
「何か問題でもありますか、じゃないっしょ!」
「そ、そうよ!それに、矢だって刺さったままじゃん!」
ムーンサルトとピピコが、滑稽なまでに慌てふためいた声を上げる。
「あぁ、これですか。」
クロミヤが、自分の左胸に刺さった矢をしげしげと見詰める。おもむろに両手を伸ばす。掴む。

バキッ

クロミヤは矢を折ると、刺さっていない、矢筈やはずのついている方の柄を捨てた。
「確かに、長いと動くのに邪魔で…」
「そういう問題じゃねぇええええええ!!!!」
思わず、ムーンサルトはツッコんでいた。
「確かに動くのに邪魔だろーけどさ! そうじゃなくて、胸だぞ、左胸! 普通の人間なら死んでるっしょ!! なんで平然としていられるワケ!! てか、実際問題、まだ矢抜けてないしってだからそれ以前になんで死んでないワケよ!!」
バンダナの上から頭を掻き毟りながら、ムーンサルトはまくし立てる。もう、頭の中はプチパニック状態だ。
「なんで死んでないか、なんて言われましても。ほら、俺、ラスボスズッパーンですから。」
『理由になってなぁい!!!』
今度はピピコも一緒に、ツッコミ根性を炸裂させていた。
当のクロミヤはというと、訳がわかりませんね、これだから馬鹿は困ります、というように首を横に振り、
「訳がわかりませんね。これだから馬鹿は困ります。」
まるで正体不明の珍獣か何かを見るような目をムーンサルトとピピコにむけた。しかも、わざとらしいため息までついて。
「あ、アンタねぇ、アタシがどんだけ心配したと思ってんのよ!」
「誰も心配してくれと頼んだ覚えはありませんがバーカ!」
「な、な、なによ!あ、アタシだって、クロミヤのことなんか心配した覚えはないんだから!」
「言ってることが矛盾してますねぇ。脳みそ腐り果ててるんじゃないですか?」
「ホンモノのゾンビに言われたくないわよ!!」
「誰がゾンビですか!失敬な!!」
「さっき死んで生き返ったじゃない。ゾンビじゃん!ほらゾンビじゃん!」
「腹立ちますね。こうなったら、カン…」

「はいはいカンショで決着はもういいから、オフザケはそこまでな。」

混乱した頭を少し落ち着かせてから、ムーンサルトはクロミヤとピピコの仲裁に入った。
クロミヤが不機嫌そうにこちらを睨んできたが、それは気にしないことにする。
「クロミヤのことはひとまず置いといて、だ。
で、これでこっちが形勢逆転な、ヴァイパー。こっちは3人、そっちは1人。 もしお前が勝っても、掠り傷だけじゃ済まないと思うワケだけど、どうするよ。まだ続けるか?」
「ああ、わかったよ。今日は手を引いてやる。意外な収穫もあったしな。」
妙にあっさりと、ヴァイパーが引き下がる。
確かに、ヴァイパーは分が悪いと分かるとさっさと退散する奴なワケだけど、それにしても聞き分けが良すぎはしないか? それに、意外な収穫って…?
ヴァイパーのその言葉が、ムーンサルトの心の中で引っかかった。が。
「いいんですか、あのまま放っておいて。」
走り去ってゆくヴァイパーの後姿を指差すクロミヤを見て、そんな小さな疑問はすぐに吹っ飛んだ!
「そんなことより、お前、まだ左胸に矢が刺さったままっしょ!?大丈夫なワケ!!」
「あぁ。そんなのもありましたね。」
「そんなのもって、そんなにサラリと流せる問題!?
てか、いや、待てよ。それ以前に、矢を抜いた瞬間血がどばっ、とかなる可能性も…ってマジでか!!」
「え、ウソ!?
く、クロミヤ、まだ矢抜かないでね。今、魔法の準備を――って、あれ、あの魔法どうやって使うんだっけ…!?」
再びプチパニックを起こすムーンサルトとピピコに、クロミヤはやれやれと再び大仰にため息をつく。
「大丈夫ですよ、血なんて出ませんから。仕方ないからタネ明かししてやります。」
そしてクロミヤは、あっさりと刺さっていた矢を抜いた。
ぎゃー、とか、血がー、とか言って騒いでいるムーンサルトとピピコを尻目に、日差し対策のマントを退けると、 さらにその下の黒い袖なしの服をめくった。
「これですよ、コレ。」
ムーンサルトとピピコは、プチパニックをなんとか押さえつけて、クロミヤを見た。
クロミヤは黒のノースリーブの下に、さらしを巻いた上から、左胸の部分だけを覆う、 小型の胸当てのような防具を装備していた。
「あぁ、なるほど、ハートガードね。」
ようやくこれで合点がいった、というように、ムーンサルトが落ち着きを取り戻した声で言う。
「ハートガード?」
ピピコが首を捻る。
「そ。心臓付近だけをピンポイントで守る防具のことな。 ガード面積は狭いけど、安いし、軽いし、蒸れてもその面積が狭いワケだから、盗賊の間でも結構メジャーな防具なワケ。 俺の昔の仲間にも、よくつけてる奴いたし。」
「まぁ、遠くから射られたのではなかったので貫通はしましたが、掠り傷程度で済みました。」
「へー、そうなんだー……って、簡単に納得できるかぁあああ!!!」
ピピコが、ハートガードの上からクロミヤの左胸を殴った!
さすがにこれには驚いたのか、クロミヤも目を丸くする。
「何するんですかピピコ!傷口が広がったらどうするんですか!?」
「むぅ。防具つけてたんなら、教えてくれたっていいじゃん!」
「ハッ、馬鹿ですね。あのヴァイパーとかいう盗賊の頭を動揺させる、俺の崇高な作戦に決まってるじゃないですか。」
「でもでも、アタシとムーサに教えといてくれたってさぁ…。」
「敵を欺くのに、味方も欺けなくてどうするんですか。」
「あ、なるほど。」
「って、それは敵を欺くにはまず味方からっしょ!ピピコも簡単に騙されないの!
それよりも、早く行かないと…」
「行くって、何処に行くんでしたっけ?」
クロミヤがムーンサルトに、間の抜けた質問をする。ピピコも、首を傾げている。 どうやら2人とも、さっきの騒動で今日の目的地を忘れてしまったらしい。
「なに、クロミヤもピピコも忘れちゃったワケ?」
「そう言うムーサも、どうせ覚えてないんでしょう。」
「まさか。今日中に旅の…」
そこまで口に出して、ムーンサルトは口をつぐんだ。
とてもとても重大なことに、気付いてしまったから。
だから、ムーンサルトは言った。顔に青筋を立てながら。

「なぁ、クロミヤ、ピピコ、このままじゃあ夕方までに旅の宿につけな…」

刹那。
「何してるんですかムーサ!ちゃきちゃき歩いて下さい!!」
「野宿になったら、ムーサのせいなんだからね!!」
クロミヤとピピコが、猛スピードで走り始める。
明後日の方向に向かって!
「って、旅の宿そっちじゃないから!しかも、そっち砂漠っしょ! 砂漠で迷ったらどんなに大変なことか……って、それはいいとして、この場合、街道に戻るのが普通っしょ!!」
『問題ナシ!!』
「問題オオアリだぁああ!!!」
絶望的な叫び声を上げながら、ムーンサルトも走り始める。

ちなみに、結局3人が野宿するハメになったのは、言うまでもない。



3人の旅人が騒がしく去っていった後、岩陰から、一人の男が姿を現した。
「なーんだ。ハートガードかよ。俺も随分とまぁ、古典的な手に騙されたもんだ。」
「でも、よかったっすね、お頭。あの勇者が不死身じゃなくって。」
倒れている幾人かの男達の中から、声が上がる。
「なんだァ、お前、起きてやがったのか!」
「そ、そんな滅相も無いっす!!その、ち、丁度、ついさっき起きたばっかりで…」
「御託はもういい。それより、とっとと寝てるヤツらを叩き起こせ。」
「え、お頭、まさか今度はアイツ等に不意打ちでもかけるつもりっすか!?」
「馬鹿が。今はまだそのつもりはねぇよ。」
男の口から舌が這い出して、上唇にこびり付いた血を拭う。

「今はまだ、な。」







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