ガキィン

刃と刃のぶつかり合う、甲高い音が響く。
ムーンサルトはピピコとヴァイパーとの間に身体を滑り込ませて、ナイフの一撃を左手に持つ愛用の片手剣で受け止めた。

「久しぶりだなァ、ムーンサルト。」
鈍く光るヴァイパーの瞳が、ムーンサルトを睨みつける。その目はムーンサルトに、鞘のないナイフを連想させた。
「一ヶ月、いや、三ヶ月ぶりか?
勇者殿の腰巾着こしぎんちゃくやってるって部下から聞いて来てみりゃ、へぇ、意外と元気そうじゃねーのッ!」
ヴァイパーが、ナイフを持っているのとは反対の左手を、ムーンサルトに向かって突き出した。
不意打ちだった。しかしムーンサルトは、そちらをロクに見ることもなく、右手でヴァイパーの左手首を掴んで、そのまま捻りあげる。
「…ぐぁ…ッ」
いつの間に取り出していたのか、ヴァイパーの左手から小型のナイフが零れ落ちる。
ヴァイパーの不意打ちに気付いていなければ、例え急所を外れていたとしても、ただでは済まなかっただろう。 ザクッと軽い音を立てて、ナイフが地面に刺さった。ムーンサルトはそれを右足で横に蹴り飛ばして、ヴァイパーから遠ざける。
「ピピコ、悪いけど、コイツの右手のナイフ取ってくれる?」
「あ、りょ、りょーかいっ!」
「バーカ、嬢ちゃんごときに簡単に取られ…――ッ!!」
しかしヴァイパーが全てを言い終わる前に、ムーンサルトは右手の力を強めた。ヴァイパーは言葉にならない悲鳴を上げる。 彼の右手から力が抜けて、ナイフが地面に刺さる。ピピコはそのナイフを地面から引き抜いて回収する。
それを見てから、ムーンサルトは右手の力を緩めて、剣を鞘に収めた。
「チッ、馬鹿力め。
おい、お前ら、ちょっとは手伝…」
しかしそこで、ヴァイパーは言葉を止めた。周囲を見ずとも、ヴァイパーのその様子でわかる。 ウンゲーゴ盗賊団の盗賊たちは、頭がやられたのを見て、逃げ出してしまったのだろう。
「クソッ、無能揃いの使えない奴らめ。」
毒づくヴァイパー。諦めたのか、こちらの様子をうかがっているのか、抵抗する素振りは見せない。
どちらにせよ、ヴァイパーが大人しくなったことが、今のムーンサルトにとっては一番重要なことだった。
「なぁ、ヴァイパー。取り引きしないか?」
ムーンサルトは早速本題を切り出した。
「取り引き、だと…?」
ヴァイパーの眉間にしわが寄る。
「あぁ、取り引きだ。」
「はっ、笑わせんじゃねェよ。だいたい、誰がお前と取り引きなんか…」
「手を離してやる。」
「それだけか?」
「それだけじゃ不満なワケ?」
ムーンサルトは、ヴァイパーの手首を思いっきり強く捻りあげた。骨が軋み、ヴァイパーの表情が痛みに歪んだあたりで、力を緩めてやる。
「左手首の骨にヒビでも入ったら、職業柄、お前もいろいろと不便っしょ?」
「………チッ」
忌々しそうに、ヴァイパーはムーンサルトを見上げた。
「…聞くだけ聞いてやる。俺がお前に何をくれてやりゃあ、取り引きは成立する?」
「俺は別になんもいらねーよ。
ただな、俺と一緒にいる奴には手を出すな。」
ピピコに聞こえないくらいの声で、ムーンサルトは囁く。
このくらいの小さな声でも、半獣人のヴァイパーの耳には届くことを、顔馴染みであるムーンサルトはよく知っていた。
「お前に何かと因縁つけられるのは、もう慣れたし、別にいい。喧嘩だって、受けて立ってやる。 でもなぁ、あいつらは何も関係ないっしょ。だから…だからあいつには…」
「あの、亡骸ユウシャドノにも、か…?」
少し目を伏せて、ムーンサルトは頷いた。
「あぁ。死人は、もう無関…」
「へぇ…。あのムーンサルトがねぇ。」
ムーンサルトの言葉を遮って、唐突に、ヴァイパーが一人喋り始める。
その表情は、俯いていてよくわからない。
「あんな、あんな口先だけの勇者殿ヘナチョコと、 そこのただの嬢ちゃんガキに肩入れしてる、だと…?」
ヴァイパーが自由の利く手で、ピピコと、倒れているクロミヤを指差した。
ふとその指が震えていることに、ムーンサルトは気がついた。
いや、指だけではない。腹も、肩も、頭も、小刻みに振動している。様子がおかしい。
「ヴァイパー、一体どうし……」

「……は、はははははははははははははははははははははははは!!!」

ムーンサルトの言葉を遮って、ヴァイパーの口から、突然乾いた笑い声がほとばしった。
いきなり笑い始めたヴァイパーに、ムーンサルトは面食らう。
「ははは、ははは、ははははははは!!
傑作だ…。お前、マジでバカじゃねーの!!バッカじゃないの!!!
会って間もない役立たずどもに肩入れしちゃってさァ!!!
ははは、あはははははは…!!」
壊れたような笑い声を上げながら、ヤケを起こしたかのようにヴァイパーは叫ぶ。
突然のことに、ムーンサルトは焦った。慌てて手首から自分の手を離すと、ヴァイパーの両肩を掴んで揺さ振る。
「お、おい、ヴァイパー!!大丈夫か、しっかりしろ!!どうしたんだよ!!?」
「俺はどうもしてねーよ。どうかしてるのは貴様の方だろ、ムーンサルト!!」
ヴァイパーはムーンサルトの腕を掴むと、その腕をぐっと口元まで引き寄せて、がぶりと噛み付いた。
服と肉を裂いて、ヴァイパーの牙がムーンサルトの腕に刺さる。
「いってッ…!」
反射的に、ムーンサルトはヴァイパーを突き飛ばしていた。
突き飛ばされた勢いで、ヴァイパーは5、6歩、後ろに後退する。
青を基調とした上着の内側から、じわりと血が滲み出す。ムーンサルトは周囲に気を配りながら、袖をめくって傷口を確認する。 ヴァイパーに噛まれた傷は、思いのほか深いようだ。
「ムーサ、大丈夫!?」
「大丈夫だ。ピピコは下がっとけ。」
「でも…!」
なおも駆け寄って来ようとするピピコに、ムーンサルトは後ろを振り返ると、微笑んだ。
クロミヤまでとはいかずとも、精一杯の余裕を貼り付けた、ムーンサルトにできる最大限に力強い微笑みだった。
「俺は大丈夫だから、な。」
「…わかった。」
ピピコが足を止めた、その時だった。
ザク、と、何かが地面に刺さる。それは矢だった。
前を見ると、いつの間にかヴァイパーが弓矢を構えて、こちらに狙いをつけてきていた。
「油断したなァ、ムーンサルト。これで形勢逆転だ。嬢ちゃんを後ろに庇ってたら、矢を避けられねぇだろ?」
くつくつと、ヴァイパーが押し殺した笑い声を上げる。
「さぁて、何処がいい?
足か、腕か、好きなところを打ち抜いてやる。」
ヴァイパーが嬉々とした声を上げる。
しかし、ムーンサルトはいたって冷静に、鞘から剣をスラリと抜いた。
少なくとも1、2回は、ヴァイパーの矢を確実に打ち落とす自信が、ムーンサルトにはあった。 ヴァイパーが矢を放った瞬間、それを打ち落として、ヴァイパーが次の矢を放つ前にナイフを投げて牽制。 ナイフにヴァイパーが怯んでいる隙にピピコをすぐ近くの岩陰に隠せば、まだ形勢逆転のチャンスはある。
それに、最悪、自分に矢が当たっても、急所じゃなければいいワケだ。 暗殺で使う時意外、金の無駄だとか言って、ヴァイパーの奴、やじりに毒塗ったりとかしないワケだし。 などと、ムーンサルトが頭の中で状況の打開策を、検討しているときだった。
後ろで、地面を蹴る音がした。
「マジで!?」
ピピコが、岩陰に向かって全速力で走っていた。
舌打ちして、その後を追おうとしたムーンサルトの足元に、矢が突き刺さる!
駆け出そうとした足が動きを止める。
牽制された。と、思った時には、もう遅かった。ヴァイパーはすでに、次の矢を弓に番えて、ピピコに狙いをつけており。
「くそっ!」
できればやりたくなかったが。
ムーンサルトは腹を括ると、 上着の内側から重さ的にも値段的にも投げるのに適している量産型の小型ナイフを取り出して、ヴァイパーの足を狙って投げようとした。
その時だった。

「お遊びはここまでです。」

鞘に収まったままの剣で、横からわき腹を薙ぐように殴られて、ヴァイパーの身体が吹っ飛んだ。
その衝撃で、弓矢がヴァイパーの手から離れて、地面に転がる。
突然の出来事に、ムーンサルトもピピコもそれぞれの動きを止めて、ヴァイパーを吹っ飛ばしたヤツのいる方に目を向けて。
「なっ!?」
「え、うっそおっ!!?」
ほぼ同時に素っ頓狂な声を上げた。
「誰だ、てめ……ッ!?」
殴られたわき腹を押さえて、顔を上げたヴァイパーも、絶句する。
3人の驚嘆の視線の先にいたのは――

「何か問題でもありますか?」

左胸に矢が刺さったままのくせに、ムカツクほどに余裕な笑みを浮かべている、クロミヤだった。





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