ムーンサルトはテントの中で目を覚ました。
テントに入って寝た記憶はない。気を失った後、クロミヤと少女がここまで運んでくれたのだろう。
テントの入り口から差し込む陽光に、とりあえず日は昇っている時間帯だということを教えられた。
ということは、クロミヤも少女も、きっともう起きているのだろう。
まぁ、ここは礼の一つでも言っとくべきっしょ。
ムーンサルトはむくりと身体を起こすと、もぞもぞと狭いテントから這い出した。
不思議と、昨日の疲労感は残っておらず、殴られた腹も痛くなかった。
テントから這い出してすぐに、ムーンサルトは異変に気付いた。
変な臭いがする。
ツンと鼻につく異臭だった。
臭いの出所を見ると、そこではクロミヤと少女が、神妙な面持ちで火にかけたナベを眺めている。
「って、ちょ、なにやっちゃってるワケ!?」
「なにって、料理ですが。」
いつもの、ムカツクほどに余裕綽々の顔でクロミヤが言ってくる。
確かに、言われてみるとなんだか料理っぽい臭いが……
「この臭いのどこが料理なワケ!!むしろこの臭い毒物っしょ!!」
「毒物とは酷いですねぇ〜。」
「そうだよねぇ〜。」
くすくすと笑いあうクロミヤと少女。何故か妙に声が弾んでいる。
「で、まぁ1000歩譲ってそれが料理として、なんの料理なワケよ。」
「トマトスープだよ。」
「うっそだぁ。」
ムーンサルトはひょいっと飛び起きると、クロミヤと少女の元へにじり寄る。
「どれどれ。」
ナベの中を覗き込む。刹那、強烈な刺激臭がムーンサルトの目と鼻を襲った!
「ぎゃあああああああ!!?
ちょ、目が痛いってどーよ。鼻ももげ…げほっ、ぐほっ。」
あまりの刺激臭に、ムーンサルトは咳き込み、地面にうずくまる。目が潤む。うわ、鼻水でてきそう。
ムーンサルトは恨めしそうにじろりと2人を睨んだ。
当のクロミヤと少女の2人といえばにやにやと、しかしどこか涙目で、こちらを見てきていて。
「てか、さっきからお前らナベの側でめちゃくちゃ我慢してるっしょ?」
と、そこで、2人もナベの側から飛びのいて、ぜーはーぜーはーと臭くない空気を全力で身体に取り込む。
どうやら、出来る限り息を吸わないようにしていたらしい。
「も、もうダメ。く、クサいし。」
「ギブ、ギブギブ。分量間違えましたかね…」
「って、いったい何入れたワケよ。」
「ウンゲーゴ団員の持っていた刺激臭注意のビンの中の薬品と、
そこらへんに生えてたいかにも怪しげな紫色の雑草と、少女の毛染め薬と、トロールの肉と……」
「どこがトマトスープなワケっ!?」
あまりに刺激的なトマトスープの食材の内容に、ムーンサルトは苦笑した。それにつられてか、クロミヤも少女も笑う。
街道沿い、背の低い草が点々と生える赤茶けた大地に、しばらく3人の笑い声が染み込む。
ひとしきり笑った後で、唐突にクロミヤが聞いてきた。
「大丈夫ですか?」
「何がよ」
「腹のケガ。」
言われて、ムーンサルトは上半身を起こすと、服の裾を捲ってみた。
腹全体を覆う痛々しい打ち身の痕を想像していたが、違った。打ち身の痕は一つも見当たらない。でも、確かに昨日、殴られたはずなワケだが。
ムーンサルトは、時に腹を軽くたたきながら、しげしげと自分の腹を見つめた。
ムーンサルトのその様子に、クロミヤと少女は意味ありげにくすくすと笑いあう。
「おー。キレイなモンですねぇ。」
「やったね。大成功〜♪」
少女の言葉が、ひっかかる。
「大成功?
なに、まさか俺を何かの実験台に使ったとか言っちゃうワケ?」
「ええ、少女の魔法の実験台に使いましたが。」
クロミヤは特に感情も込めずにさらりと言った。
それに、ムーンサルトは顔をしかめる。
「それってマジなワケ?」
「すごいでしょ!」
少女が得意そうに鼻を鳴らす。
「あ、あぁ。スゴイスゴイ。それより、その、その回復魔法はどこで知ったワケ?」
「父様に教えてもらったんだー。」
「トオサマですか。」
クククと押し殺した笑いを洩らしながら、クロミヤが会話に割り込んでくる。
「なによー。別に普通でしょ?」
「まさか。いえいえ、全面的に否定するわけじゃあないですけど……プッ。」
「な、な、なによ人をバカにしてぇええええ〜〜〜〜〜!!!!」
そこから、クロミヤと少女は、ぎゃわぎゃわとやかましく口論もとい口喧嘩を始めだす。
ムーンサルトは、お前らどんだけ口喧嘩好きなワケよ、と呟きつつ、しかし、既に別のことを考え始めていた。
「ふむ。回復魔法…ねぇ。」
確か、あれは城の財宝の入手兼王の弟と悪徳貴族とが裏で繋がっている証拠を掴むために、王城に潜入したときのことだった。
その王の弟が、国家機密だとか言って、一部の魔導学者と王族の者しか知らない開発中の回復魔法のことを話していたような。
でもそれなら、この少女は……
「焼き芋です!」
「そーそー、少女の正体は焼き芋…って、藪から棒に何よクロミヤ!」
「オオ。キイテクダサイヨムーンサルトー。」
「棒読みだったのは聞かなかったことにするけどな。」
「少女がカンショはスイートポテ…」
「って、またお前らカンショなワケ!?
てか、さっきの口喧嘩とカンショに関連性ゼロっしょ!!」
「チッチッチ。甘いですねームーンサルトは。」
ふっふっふ、と、クロミヤと少女が不気味な笑みを浮かべる。そして2人は息ぴったりに。
『カンショの世界は奥が…』
「深くねーよっ!!」
なんだかんだで息の合ってきた3人なのであった。
◇ ◇ ◇
「そーいや、ナチュラルに馴染んでね、少女。」
テントを畳んで野営地を引き払った後、均された街道を歩きながら、ムーンサルトはぽつりと洩らした。
「ふへ?」
聞かれた当の少女はといえば、料理で余った小振りのトマトをくちゃくちゃもぐもぐと食べながら、きょとんとした顔で首をかしげている。
「それがどうかしたの?」
「いやだから、なんか、その、私は最初からいた仲間ですって感じで馴染んで…」
「なに言ってるんですか?」
ムーンサルトに言葉を返したのは、少女ではなく、クロミヤだった。
「最初からいましたよ、コイツ。」
さも当然といった顔で、クロミヤは断言した。そこには迷いも、躊躇すらもない。クロミヤはその調子で、さらに続ける。
「ほら、王都で遇って、“大橋”の付近の街を目指してるって聞いて、
奇遇ですねぇ俺たち実は大橋目指してるんですよー、なんならその街まで一緒にいきませんかって話に…」
「なってないからっ!
てか、それ以前にいないっしょ!!王都では少女、普通にいなかったっしょ!!?」
「ヒドイッ!ヒドスギルわッッ!!アタシのことをいなかっただなんテェ!!」
「アア、なんてことだ。ムーンサルト、これはあんまりではないかァ!」
「お前ら誰!?ドコの大根役者なワケ!!」
「いなかったとか抜かした上に、大根役者だなんてぇ。ヒドイわよねぇ、クロミヤぁ。」
「あんまりですよねぇ、ピピコ。」
「ん?ピピコ?」
聞きなれない単語に、思わずムーンサルトは聞き返していた。
もちろん、これを聞き逃すクロミヤではない。クロミヤは大仰に驚いた顔をしてみせると、これでもかと言わんばかりに声を張り上げた。
「少女の名前ですよ。ま、まさか、そんなことも忘れてしまったんですかぁ?
はー、どんだけお馬鹿ちゃんなんですか!?」
「いやだから、俺はマジで知らないワケでだなぁ。」
「フッ、冗談ですよ。
少女の名前も、少女が“大橋”付近の街に向かっていることも、昨日、アンタがお寝んねしている間に聞いたことです。
だからそんなに真に受けないでくだ…」
「真に受けてたまるかぁッ!!」
怒鳴って、ムーンサルトは、頭が痛くなるのを感じた。前途多難という言葉が、頭の中をぐるぐると巡る。
これから、この旅は、きっとずっとこの調子で進んでいくのだろう。
いや、勇者が尊厳な態度で「国を救うぞ。」とか真顔で言い出す種類の人間でも、
それはそれでやり辛いこと間違いなしなワケだが。
「あ、ちなみに“大橋”付近の街まで一緒に行くことになったって話は本当なんで。」
「よろしくね〜」
「ふつつか者ですが仲良くしてやって下さい。」
「アンタに言われたくないわよっ!」
…こっちの方がやり辛いだろ。お荷物割り増しなワケだし。もうタチ悪すぎっしょ。
ぎゃーぎゃーと再び喧嘩を始める2人のお荷物を見て、ムーンサルトはますます重苦しい痛みに頭を締め付けられるのだった。
◇ ◇ ◇
目の前に分かれ道がある。
大橋への近道へと続く右の道と、真っ直ぐ前に進む道と、そして港町へと続く左の道だ。
分岐路に立つは言い争う3人の若人。
「だぁから、近道があるんだから近道で行くべきっしょ!!」
「真っ直ぐ真ん中王道で行くのっ!!」
「俺、一人ででも海に行く覚悟はできてますが。」
旅は、間違いなく前途多難である。
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