幕間1 ムーンサルトの名前

「それにしても、ムーンサルトって名前、無駄に長いですよね。」
そう切り出したのはクロミヤだった。いちいち無駄にを付けるあたりが、 どうにもクロミヤのクロミヤたるクロミヤらしさを表現しているような気がしてならない。
「別に普通っしょ。」
「いえいえいえ。十分、無駄に長すぎますよ。ねぇ、ピピコ。」
話を振られた華奢な少女――ピピコはといえば、演技がかった神妙な顔でこくこくと頷いている。
「うんうん。長すぎて名前覚えられないもん。えっと、月の涙<ルーナラルモ>盗賊団のお頭のモモンティーヌだったっけ?」
モモンティーヌの部分だけ、妙に声を大きくして言うピピコ。
わざとだ。これ絶対わざとっしょ。あぁでも、ここで何かを口に出せば全ては相手クロミヤとピピコの手の内だ。
堪えろ、堪えるんだムーンサルト、と心の中で唱えながら、ムーンサルトはげんなりとした視線でクロミヤとピピコの出方を探る。
「違いますよ。この賊の頭はムーンサルチですよ。」
なんでその最後の一文字を間違えるワケよ。わざとすぎっしょ。
そんな言葉が喉まで出かかったが、ムーンサルトはなんとかこらえた。
「あーなるほどムーンサルツね。」
だぁから、なんでそこでツになっちゃうワケ。チの次はツって、見え見えっしょ。
口をこじ開けて出てきそうになった言葉を、ムーンサルトは飲み込む。不快感が胸の中でむかむかと蔓延する。
「そうそう、ムーンサルトル…」
「ムーンサルト、なっ!!」
ムーンサルトの言葉が、人通りがほとんどないれたさびれた街道上に響く。
言いたいことを言えてスッキリとした高揚感を覚えるムーンサルト。
しかし、すぐに聞こえてきたクスクスという忍び笑いに、ムーンサルトは相手の掌の上に自ら乗ってしまったことを悟って、頭が痛くなった。
「そういえばムーンサルトでしたね。名前が無駄に長すぎて忘れてしまいましたよ。」
「もうちょっと名前が短かったら覚えやすいのにね。」
「はいはいはい。それで、何がしたいワケよ。」
顔に諦めの文字を貼り付けたムーンサルトは、投げやりに聞いてあげた。
するとクロミヤとピピコは、待ってましたとばかりににやりと笑って胸を張る。
「そこで、俺たちはですね、」
「ムーンサルトのニックネームを決めちゃおう!ってことにしたんだよ。」
「あーはいはいすごいですねー。」
ムーンサルトからはもはや、やる気のやの字すらも感じられない。
それとは対照的に、クロミヤとピピコのボルテージはぐいぐいと上がってゆく。
『ムーンサルトニックネーム決め大会』だの『ベスト・ムーンサルト杯』だのと言って、きゃいきゃいと盛り上がっている。
まぁ、ニックネームをつけられる側としては、何がそんなに楽しいのか全く持って理解不能なワケだが。
「さて、余興もここまでで、早速ムーンサルトのニックネームですが。なにかいい案はありますかピピコ?」
「んー…。」
腕を組み、黙り込むピピコ。しかしすぐに腕を解く。
「デカブツ?」
ピピコの言葉を聞いた瞬間、ムーンサルトは目の前の景色が三回転半したような眩暈に襲われた。
四六時中その名で呼ばれるのかと思うと、ゾッとした。
しかし、ここでそんなことを言えば嫌がらせで「ベスト・ニックネーム杯はデカブツで決定!」と言い出すのは目に見えている。
堪えろ、堪えろと、ムーンサルトは心の中で念仏のように唱える。
そんなムーンサルトの内心を他所に、クロミヤの顔に、あの、いやらしいほど余裕たっぷりの笑みが浮かぶ。
不気味だ。不気味すぎる。灼熱の太陽が照りつける中、しかし、ムーンサルトは背中にひやりとした悪寒を覚えた。
「ふっふっふ。ピピコ、悪いが今回のムーンサルト変てこニックネーム杯は頂きました!」
「待て待て待てっ!今、もろに変てこって…」
「俺の思いついたムーンサルトのニックネームは、」
わざとらしく、クロミヤが一呼吸の間を置く。
ごくりと、誰か――といっても、この場合、ムーンサルトかピピコのどちらかしかいないのだが――が唾を飲む音が響いた。
「ムーンサルト、略してムサ男です!!」
「ちょ、待て、ムサ…」
「ムーンサルトのムとサの文字と、でかくてムサいのムサをかけてみました。」
「だからクロ…」
「あははっ。さっすがクロミヤ!」
「どこがさす…」
「ふっふっふ。今回のは力作ですよ!」
「やめてその力…」
「じゃあじゃあ、ベスト・変てこニックネーム大賞はムサ男で決…」
「決めんなッ!!」
ぜーぜーと息の荒いムーンサルトには、やっとまともに口をはさめた喜びを味わう余裕すらない。
そんなムーンサルトとは対照的に、クロミヤは相変わらず余裕を持て余した笑みを浮かべている。
「ジョークですよムサ男。」
「嘘ッ!ジョークとか言いつつ今まさにお前ムサ男って言ったっしょ!!」
「あはは。あんまり怒ってばっかだと、早死にしちゃうよ?」
「怒らせてるの誰よ!?なに、これ俺に早く死ねって暗に言っちゃってるワケ!!?」
「え、そんなつもりじゃ…」
ピピコは目を丸くして驚くと、すぐに落ち込んだように俯いた。
「ごめん。」
「え、あ、いやその…」
ムーンサルトの目が泳ぐ。まさか謝られるとは、夢にも思っていなかったワケだ。
これはさすがに、前言撤回して謝るべきではないだろうか。人間として。
なんともいえない気まずい空気が、三人の間を流れる。
三人…いや、一人だけ、場違いにも、相変わらず余裕な笑みを浮かべている。クロミヤだ。
けたけたと笑うと、クロミヤは事も無げに言った。
「別にいいじゃないですか。ムサ男の一人や二人が早死にしようがしまいが。」
「よくないよっ!」
珍しく、クロミヤの言葉に噛み付いたのはピピコだった。
「だって、ムーンサルトが死んじゃったらさぁ…」
何故か、ピピコが明後日の方向を向く。その表情は、よく見えない。だが、さすがのクロミヤも気まずそうき頭を掻いている。
あー、あー、本格的にこれはマズい。積極的にコレはマズいっしょ!
ムーンサルトは一人狼狽する。
とにかく、ここは謝るべきだ。やっぱり素直に謝るべきだ!
「あーあー、あのそのピピ…」
「だって、ムーンサルトが死んじゃったら……か、からかう相手いなくてつまんないし!!」
一瞬、ムーンサルトの時が止まった。
くすくすけたけたという、クロミヤとピピコが嫌らしい笑い声を聞いて、ようやくムーンサルトは我に返った!
「ちょ、まさかさっきの全部ウソだったワケ!!?」
「はい。ピピコ、ナイスアドリブです。」
「…ま、まあね!アタシにかかればラクショーよ!」
ふふふんっ、と偉そうな顔をするピピコ。
ムーンサルトの全身から力が抜ける。
あーぁ、真剣に後悔してた俺ってもろにバカじゃん…てかそれ以前に、どこの世の中に勇者と少女にまんまと騙される盗賊団のお頭がいるワケよ!

……はぁ。

なんだか、途方もなく自分が情けなくなってきて、さすがのムーンサルトもがっくりと肩を落とした。
「ま、あんまり落ち込まないで下さい。軽いジョークですよ、ムーサ。」
「どこが軽いジョークな………って、ムーサ?」
聞きなれる単語に、それが勝手に決められた自分のあだ名なのだと、ムーンサルトはすぐには気付けなかった。
しれっとした顔で、クロミヤが続ける。
「ムーサが昼メシを作ってる間に、ピピコとぱぱっと決めておきました。
…さすがに、町や街道のど真ん中で、ムーンサルトムーンサルトと盗賊の頭の名前を連呼するのは、 俺まで妙な誤解をされそうで厄介ですからね。」
「考えてあげたんだから、感謝しまくりなさいよっ!」
感謝しまくるほどありがたくはないとは、口が裂けても言えないムーンサルト。
「ということで、ムーンサルト、お前のあだ名はずばりムーサに決定です。」
ずばっと、明日の方向を指差して宣言するクロミヤ。ピピコもクロミヤのマネをして、変てこな方角を指差して遊んでいる。
しかしまぁ、あだ名もなんとか妥当な感じのに決まって、心の生傷はまだ癒えてなかったが、ムーンサルトは今日始めて安堵した。
「ということですので、よろしくお願いしますよ、ムサ男。」
「だぁから、なんでそこでムサ男になるワケよっ!!」
クロミヤの嬉々とした笑みを見て、ムーンサルトの安堵は、早くもため息に吹き飛ばされていた。




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